HISTORY

SpearFishing鹿児島<SFK>

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2009年6月、鹿児島の暑さに気が狂った男達は、目の前の海に飛び込んだ。ここからSPEARFISHING鹿児島の歴史が始まる。

この日の体験を仲間に伝えると、次に仲間達は釣具屋へと走った。そこにあったマスクとスノーケル、そしてその横にあった398円 の銛を買い、再び海へと入っていった。そこには色とりどりの魚がいた。初めは見ているだけだったが、やはりその右手に持っている ものを使わずにはいられなかった。狙いを定め、ゴムを引き、放つ。しかしその意に反して魚達はひらりと身をかわし、悠然と泳いで いく。何度も銛を放つが、なかなか当たらない。悔しげに、しかし心に何か充実感のようなものをかかえて引き揚げた男達は、囲炉裏 を囲み、やがて夜が明けるまで、どうすれば奴を射抜けるか話し合った。(一部嘘)----









銛の製作が始まった。藪から3mほどの竹を切り出し、先にヤスを装着した。ゴムを尻手にくくりつけると、それは自分だけのオリ ジナル銛になった。これなら!みんなそう思った。自慢の銛を手に、そしてネットで入手した格安のフィンを足に履き、リベンジに向 かった。ついに魚が獲れた。小さいが、確かに自分達の力で獲った獲物だった。意気揚々と帰った男達は、早速魚を慣れない手つきで 調理し、それをおかずに飯を食った。イロリ、じゃなかったインターネットで「銛」と検索すると、見たことも無い銛が目に飛び込ん できた。チョッキ銛だった。男達は興奮した。こんな銛があるのか。まずヒロが工業高校の知識と経験を生かし、チョッキ銛を作った 。性能は圧倒的だった。その後、2本のチョッキ銛が改良されながら完成し、このことでspearfishing鹿----児島のレベルは大きく上がっ ていった。これをSFKチョッキ改革という。










2009年10月、小次郎とたかが偶然海辺で出会った。健彦が手銛に夢中だ、と話すと、たかは、「ここで潜れよ!旨い魚がいっぱい いんぞ!」といった。興奮した小次郎は家にいるhiroに一部始終を電話で話し、一時間後にはそのポイントで潜る用意ができた。夕暮 れが近かったこともあり、1時間しか潜れなかったが、そのポイントのメインターゲットを3尾捕獲した。その夜、他のメンバーも合流 し、たか宅で刺身を食べ、共に語り合った。ここで出会ったたか、としくんの知識、経験そしてバックアップのお陰で、spearfishing 鹿児島の活動は飛躍的に進歩していくこととなる。ここからSFK高度成長期が始まった。----